アイドリング

 アイドリング。

 同義語で説明するなら暖機運転。

 すなわち事前準備か。

 いや時系列的には事前準備と実行動の間の時間である。実行動に移っているんだけどパフォーマンスが想定された範囲まで出力できていない状態を指すのだろう。

 スポーツにおける準備体操は事前準備ではなく暖機運転だ。

 読書には事前準備も暖機運転もなく本を読み始めた瞬間から目を離すまでが読書だが、そこに読書への観点、ある単語をカウントするだとか一目で内容が掌握できない部位を全体を通して意味を見通すだとか、そのような観点を読書と言う行為にオプションで付属させれば暖機運転はその時点から存在するのだろう。

 そのことからスポーツにおける準備体操も観点の設定があるからこそ存在する。準備体操としてのジョグ、あれはジョギングの略語なのかどうか今考えてみると知らないがジョグと呼ばれる体を故障しない範囲で歩くような速度で走る行為で考えてみれば、その日の運動の全てがジョグであればジョグは準備体操ではなく、暖機運転でもないだろう。スポーツという高強度の行為と比較すれば一日ジョグはレクリエーションという低強度の枠組みに入れられてしまい、暖機運転という観点はなくなる。

 事実としてジョグをすることに身体的に暖機運転が行われないというわけではない。実際は暖機運転なのだ。心拍数を上げ血流をよくし、その効果を持って全身の活性化を図り結果として体の故障を少なくするという暖機運転の中身は変わらないのだが、そこに構造上から見る観点がなくなれば暖機運転という認識も失われる。

 構造からの離脱をすると認識が失われる。

 認識が失われると概念上だけで記憶していた行為は意味消失し、なんとなくやる行為にまで落ちる。個癖の一種とでもいおうか経験で記憶していた行為は意味を失わないので経験というものも一つの知性体として肉体を維持する上では有用であろう。

 

 さて、何をいいたいかというとタイトルにアイドリングとつけてアイドリングからどう話を流そうかと思ったらなぜかこのような文章になってしまった。

 このはてなブログという私がネット上で聴く限りにおけばヤフー知恵袋に並ぶ知性のたまり場で私が行いたいことは小説を書くという行為である。

 実際にここで小説を書くということではない。なろうでやれとかノクターンでやれとかいわれるのが目に見えているのですぐさま反論するが、小説をネット上で書くなら小説投稿サイトで書くよ。そりゃあそうだ。

 主目的は小説を書くことだ。そして今回のタイトルはアイドリングである。つまり、この文章はアイドリングなのだ。小説を書こうという思いはあるのだが、書けない。なんとなしのプロットはあるが手が動かない。ワナビーはコレだからダメなんだ!といわれてもはいそうですねおっしゃるとーりとしか吐き出せない。もうすでに百六十枚ぐらい書いておそらく八十枚ほど追加で書けば投稿基準に載ってなおかつ話のまとまりも出来るという段階なのだが、手が動かない。

 そこで考えた。先日、友人がコミックマーケットを四回連続落選して「今回も受からないだろ!」と思っていたら受かってしまって、同人誌を泣きながら書いてるという話を私は横でゲラゲラ笑いながら聴いていたが、その会話上で一つのノウハウを耳にした。

 曰く、落書きを三十分から一時間ほど書いてから書かないと本調子にならない、そーいうプレイスタイルの類友もたくさんいるよ!

 とそういう話を聴いて、「じゃあその落書きを掻き集めれば一冊本ができるってことじゃん!俺そういう大手の本結構持ってるよ!え、なんで使える落書きがないんですか、言動不一致は同人作家の新基準かなにかですか?はあ、どちらかといえば旧耐震?」と一息に煽ったりしたのだが、その友人の落書き残量における事実関係とノウハウ自体は切り離して考えることができるし、使えるものはなんでも使うのがいいひとにおけるいいことである。

 というわけではてなブログを解説したのだった。あとアイドリングついでにもう一点あって、意外とSNSって好き放題いえる環境じゃないっていうことがある。特にネットリテラシーが高い友人達が多くいれば暴言放言はしにくい。そんな発言すんなよな!という常識あるお言葉が聞こえてきそうだが、暴言放言の中に政治宗教野球の話が入っていて実はリアルの顔見知りだとかに地雷があってそれがフライングベティみたい作動すると宙に跳ねて爆発するタイプだと困るでしょう?なんか私の友達、日本会議がどうだとかこうだとか都ファがどうだとかこうだとかいってたわ!なんて怖いんでしょう!

という状況下なのである。

 というわけでこのヤフー知恵袋と同じくらいすばらしい場所で遊ぼうと決意したのでした!